原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

原子力時代を語る アトム 仁科芳雄他 1946.08.01

日付 1946年8月1日

題名 原子力時代を語る

掲載 アトム 1(1) pp22-28

発行 日本科学技術連盟(京橋区)

編集 村越司

形態 座談会

出席者 仁科芳雄、嵯峨根遼吉、大島文一、湯浅年子、向山幹夫、巽良和、根岸正

備考 目次には、武谷三男の名も掲載されている


見出し

原子力爆弾が現われるまで

日本では何故出来なかったか

ソ連ではどの程度に進んでゐるか

フランスその他に於ける研究

原子力とその時代への影響

原子力管理の問題

原子力の将来

 

大島文一は、外務事務官。

 

湯浅年子(YUASA Toshiko, 1909-1980)は、核物理学者で、戦後帰国して東京女子高等師範学校教授(現お茶の水女子大学)となっているが、戦中よりフレデリック・ジョリオ=キュリーのもとでパリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所で研究、その後もCNRS(フランス国立中央化学研究所)に所属していた。

 

向山幹夫(MUKAIYAMA Mikio, 1896-)は、工学博士、重金属研究所長。1930年頃に三菱製鉄に技師として勤務、チタンを含む砂鉄を原料とする電気製鉄を実用化。

 

巽良和は、司会で、日本科学技術連盟理事長。

 

根岸正は、司会で、司会日本科学技術連盟執行委員。

 

日本科学技術連盟は、1946年5月に発足した文部省系の公益法人。2012年に一般財団法人に移行。

 

参照
占領期新聞・雑誌情報データベース

参考(湯浅年子)

物理学者湯浅年子の肖像―Jusqu’au bout最後まで徹底的に

物理学者湯浅年子の肖像―Jusqu’au bout最後まで徹底的に

パリに生きた科学者 湯浅年子 (岩波ジュニア新書)

パリに生きた科学者 湯浅年子 (岩波ジュニア新書)

 

参考(仁科芳雄

仁科芳雄―日本の原子科学の曙

仁科芳雄―日本の原子科学の曙


理研紹介映画『科学の殿堂』完全版(昭和17年制作) - YouTube