広島被爆は世界一 米人記者 中国新聞 1945.09.05
日付 1945年9月8日
題名 広島被爆は世界一(見出し)
著者 米人記者
誌名 中国新聞
発行 中国新聞社
形態 記事
見出し
広島被爆は世界一
日米記者団が一問一答
「県 広島の惨状を見てどう感じたか。
米 われわれはヨーロッパ、太平洋の各戦線を従軍したが都市の被害は広島がもっとも甚大だと思う。
県 原爆を投下した地域は今後75年は人類や生物の棲息は不可能というが事実か。
米 現在は何もわからぬ。」(下記、344ページより引用)
もうひとつのヒロシマ―ドキュメント中国新聞社被爆 (現代教養文庫)
- 作者: 御田重宝
- 出版社/メーカー: 社会思想社
- 発売日: 1987/07
- メディア: 文庫
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原爆特集・この原爆禍 改造 1952.11増刊
日付 1952年11月15日
誌名 改造 22(17) 1952.11増刊 原爆特集・この原爆禍
発行 改造社
部数 6-7万部
ルポルタージュ 生き残った12万人 武谷三男
人よ、原爆をどうする 永井潜
世界平和と原子力兵器 W・オースチン
準戦態勢下の科学 菊地正士
座談会
世界の善意の人びとに訴う 務台理作、茅誠司、坂田昌一、草野信男、崎川範行 司会
国際管理のゆくえ 堀江忠男
罪なき死刑 阿部知二
屍は抗議する 国際医学界日本準備委員会
政治に押されるアメリカの科学者 早川幸夫
間に合わなかった日本の原爆 山下信夫
原子文明の曙
太陽エネルギーと原子力 玉木英彦
動力としての原子力 杉本朝雄
潜水艦・航空機の進化 富岡定俊
日本原子力研究の方向 武谷三男
世紀の凶弾かくて生まる 江藤久雄
沙漠から人体実験のヒロシマへ 岡本彰祐
苦悶する患者の手記
生き残りの心理 大田洋子
お母さんは死にたいという 吉川美智子
働らくケロイドの母 岡崎しず子
アイモの戦慄 カメラマンの手記 相原秀次・三木茂
ABCCの内幕 探訪記
原爆・水爆の構造 中村誠太郎
第3号日本に落下せば 図師嘉彦
原爆禍に対する各国人の声 アンケート
覆えされゆく戦争観 淵田美津雄
奪われたスペクタクル 岩崎昶
悲しみから憤りへ S・ウィルソン
黙ってはいられない! 塩月正雄
ヒロシマヘの世界の怒り 世界各紙
投爆者アメリカの良心 編集部
座談会
死に勝る恐怖 松村秀逸、佐野ときわ子、阿部正哉、森みち子、宮城音彌 司会
強力放射線による子孫の変異 木田文夫
娘たちの傷あと 山本杉
生殖腺・血液の変化 三宅仁
受爆植物はどうなる 山中弘美
世界の子どもを原爆から守ろう 子供を守る会
対峙する米ソの原爆戦略体制 菅井準一、杉田元宣
心の傷は癒えず 乙羽信子
「新型爆弾」の欺瞞 下村海南
直接寄稿
日本人への私の弁明 アインシュタイン
この罪業 シンクレア
原子時代の生き方 R・ムーン
老いたる隠亡 丸木スマ 絵と文
十五分後の黒い泥雨 宇田道隆
水爆小説 人類の黄昏 木々高太郎
世界に告ぐ グラビヤ
広島住んで害なし(社会面コメント) 都築正男 1945.09.04
日付 1945年9月04日
題名 (社会面コメント)
作者 都築正男
掲載 中国新聞
発行 中国新聞社
形態 コメント
見出し
広島住んで害なし
毒素は爆弾刹那にのみ
都築博士原子爆弾に医学のメス
「4週間を経た今日、直接人体に悪影響をおよぼす程度の汚染はのこっていないように考えられる」
*以下の論考発表よりも先に新聞に掲載される。
もうひとつのヒロシマ―ドキュメント中国新聞社被爆 (現代教養文庫)
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原爆投下に関する海外の新聞記事 1945年8月10日
雅子斃れず 長崎原子爆弾記 石田雅子 表現社 1949.08.10
日付 1949年8月10日
題名 雅子斃れず 長崎原子爆弾記
作者 石田雅子
発行 表現社
14歳のとき父の赴任で4月より長崎に移住、当時は三菱兵器製作所大橋工場で働く。爆心地より約1キロのところである。
入院中のベッドで書いた文章を兄が親族で回覧する「石田新聞」(後に「東福新聞」)に8回に分けて書き、父や兄の文章や写真と併せて1冊にまとめた。
1947年7月に検閲により「発禁」とされる。ところが父が知事や市長をはじめ各層にアンケート回答を依頼し、この作品が「敵意を再び燃え上がらせ」たり「公安を害する」意図をもっていないことがわかるような内容が集まる。結果、「仮刷」という判が押され、市販をしないという前提で没収や廃棄は行われず、家族や知人に配布される。
後に、若干の修正を行い、単行本が事後検閲に移行して1年以上過ぎた1949年2月20日に婦人タイムズ社(長崎)より刊行、さらに半年後の8月10日には表現社(東京)より刊行される。こちらには父や校長の文章がなくなり、代わりに永井隆の「序にかえて」と書簡、著者と永井の写真が加わったほか一部文章に手が加えられている。
以上、堀場清子「禁じられた原爆体験」より要約。
君らは語る 渡辺順三 駿台論潮 1946年10月号 短歌 1946.10.10
ネグリVSサルトル、ハイデガー
*昨日、突然、アメーバブログが使えなくなったので、こちらに恒例の記事を書くことにする。
「ネグリ、日本と向き合う」(NHK出版新書、2014年3月)のなかで、ネグリは、積極的に、「3.11」以降の状況について語っている。
以下では、そのなかで、サルトル、ハイデガーに論及した部分について、とりあげてみる。
***
1945年から1970年代までの「国家」は、ネグリによれば、「原子国家(アトミック・ステート)」の時代である。
「原子国家」とは、「テクノロジーによる統治形態の名を借りて資本主義を正当化し、核技術を極端にまで押し進め、安全を脅かす核攻撃能力を蓄積する国家」(179ページ)のことである。
すなわちこの時期においては、「原子国家」に、「原子力発電所」ではなく、あくまでも「核兵器」にかかわるものである。
この時期において、サルトルは、次のようにネグリによって意味づけられる。
「サルトルら実存主義の哲学者たち」は、「核武装によって国家を「核の権力」として再定義する動きに対し広範な批判」(178ページ)をした。
言葉遣いが難しいが、要するに、この時期の「国家」の必然性は、核の脅威からどう逃れるかという前提があり、米国を支持する国家であれば、資本主義国家として正当化され、ソ連を支持する国家であれば、社会主義国家として正当化された、ということに対して、サルトルらが批判を行った、という内容であるにすぎない。
次の言いまわしも異様に分かりにくいが、それほど意味のあることを述べているようには見えない。
「暗雲立ちこめる空の下で、まっとうな生のあり方とは、技術による支配からいかに自由であるかによって定義されると人々は考えた。」(178ページ)
核開発に代表される科学技術を通じて形成される支配状況に対して、サルトルらが批判的であった、ということを述べているのであろうか。
***
続いてハイデガーが登場する。
ハイデガーは、「こうしたポストモダンのカタストロフィーの観念の基底にあり、その言葉がしばしばファシズムの色合いをおびた哲学者」(179ページ)とみなされている。
「こうした」というのは、上記のように、核戦争がいつ起こるのかわからないような不安のなかで生きるような状況のことであろう。
ネグリの理解では、ハイデガーは、「核の時代」において、国家が不可避的に「原子国家」となることが「不可逆的」であり、「宿命」である。
さらに言えば、ハイデガーのこうした分析は、「権力の弁明」(179ページ)であることが明らかである、とみなされる。
しかもハイデガーは当初は異なる知見を提示してたにもかかわらず、結局は、この問題を投げ出してしまっている、とネグリはとらえる。
「ハイデガーは最初こそ、技術のヘゲモニーと無現の拡張性の問題を強調したが、その技術批判の言説はたちまち、技術の表現を資本の表現へと還元する「命令」についての言説に従属してしまうからである。」(179ページ)
すなわち、ネグリは、あくまでも「技術」は、権力や体制に迎合するばかりのものではなく、さまざまな可能性を拓くだけの力能をもっているが、ふだんはあっという間に、技術を崇拝し、あたかももっとも客観的でもっとも万能であるものであるかのようにとり扱われるが、常に、「資本」の論理との接着が危ぶまれるものでもあるのだ。
ネグリの議論は、すなわち、あくまでもベースに、国家、権力、資本、などが、あり、そこに技術として、原子力(ここでは核兵器)が加わって、こうした世界を再強化しているにすぎない、というものであるだろう。
だが、原子力への欲望は、常に「国家」を経由しなければならないわけではない、ということも、私たちは理解せねばならない。
なぜならば、原子力がもたらす「効果」は、すでに「国家」を超えているからである。もっと言えば、対立する「国家」間の境界線を無意味化する、という意味で、きわめて「超-国家」的、もしくは、地球的課題なのである。