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原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

所謂「原子爆弾傷」に就て 都築正男 1945.09.08

日付 1945年9月8日

題名 所謂「原子爆弾傷」に就て(特に医学の立場からの対策)

著者 都築正男 

誌名 綜合医学 2(64) 10月 pp1-6

発行 日本医学雑誌 

形態 論文 雑誌

 

都築正男(TSUDUKI Masao, 1892-1961)は、姫路生まれ、東大医学博士で放射線学を専攻(1923年学位)、強いレントゲン線が生物に及ぼす影響を研究、「原爆症」研究の第一人者。

 

目次:

一、所謂原子爆弾傷の発生秩序並に其の病理

二、爆撃市街地の汚染問題

三、所謂原子爆弾傷患者の療養方策

 

GHQの検閲を受けた論文。発行は「原子爆弾原爆症」(蜂谷道彦)よりも早い。

 

残留放射能について、「不安はない」と述べている。

「爆発直後の数日間は別問題として、その後、汚染度は急速に減退しつつあるようである。ゆえに既に4週間を経た今日では直接人体に悪影響を及ぼす程度の汚染は残っていないと考えるのが至当であると信ずる」

 

ただし、「放射性毒ガス」という、現在では支持されていない自説を展開している。

 

引用:広島原爆戦災誌

「被爆後の広島に来て調査した結果、原子爆弾の被害は、熱線・爆風・放射能のほかに、「放射性毒ガス」によるものがあることを、被爆者の症状からつきとめて、帰京後、昭和二十年十一月にこのことを書いたパンフレット三〇部を各地の知名医に配布した。
  これをマッカーサー司令部が探知して、全部数を回収し、博士に対し「放射性毒ガスの文字を削除し、英文にして外国へ配布せよ」と命令した。博士が、これを拒否したため、マッカーサー司令部は昭和二十一年秋、初代ABCC所長テスマー博士を、横須賀のCICで都築博士と会見させ、妥協させようとはかったが実現しなかった、同年末、都築博士は東京帝国大学教授から追放され、まもなく復帰したが、その後も博士が自説をまげず、放射性毒ガスのあったことを主張したので、二十二年はじめ第二次追放令が発せられ、平和条約発効の年まで第一線に立てなかった(昭和三十九年七月二十九日付中国新聞)。」

 

関連論文:

日付 1945年8月15日

題名 熱症の療法:熱傷に就て

掲載 総合医学 2(11) pp2-3

発行 日本医学雑誌

 

参考文献:

医学の立場から見た原子爆弾の災害 (1954年)

医学の立場から見た原子爆弾の災害 (1954年)

 

*谷本清の本のなかで、朝日新聞の取材におけるやりとりが描かれている。こちらを参照。