原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

ビキニ環礁宛ら地獄図絵 九州タイムズ 1946.07.02

日付 1946年7月2日

題名 ビキニ環礁宛ら地獄図絵/驕る五彩の猛炎/艦首を突っ込んだ「長門」/死ぬ程の思い/ハワイ影響なし/標的艦への接近不能/目標ネヴァダを外る/十二隻に被害/試験は成功/第一回発表/ソ連はほぼ沈黙

題名 九州タイムズ 第86号 1面

発行 九州タイムズ社(福岡)


リード    

【ビキニ沖一日UP発=共同】ビキニ環礁の原子爆弾試験を取材したUP報道員は一日発の情況を・・・


人名

ウッド少佐

フランディ司令官

原子爆弾試験司令部

コムプトン博士

 

コンプトン(Karl T. COMPTON, 1887-1954)は、米国の物理学者、MITの学長でトルーマンの下で原爆使用に関する相談役でもあった。1945年9月15日に訪日し1ヶ月ほど滞在。1946年12月には、"If the Atomic Bomb Had Not Been Used "という論考を発表し、原爆投下の正当性と、残留放射線の影響がないということをあらためて主張した。彼の生涯の詳細はこちら

 

The Battle of the Alchemists

The Battle of the Alchemists

 

参照
占領期新聞・雑誌情報データベース