日付 1945年9月10日
題名 嘘だ、75年説
掲載 中国新聞
作者 不詳
発行 中国新聞社
形態 新聞記事
グローヴスの副官でありマンハッタン計画の現場責任者であったトーマス・ファーレル准将をはじめとした「マンハッタン管区調査団」が9月8日に飛行機で広島入り。都築正男(東大医学部教授)が同行。
マンハッタン工兵管区調査団は、マンハッタン計画における医学部長であるスタッフォード・ウォーレン大佐を団長とした。
爆心地での残留放射能測定、傷病者を収容した比治山国民学校(南区)、広島赤十字病院(中区)で調査を行う。
内容:
「原子爆弾の毒素は今後75ヶ年影響力を持つと報道されたが(略)どう思われるか」。「広島市民が最も知りたい点」を都築教授が尋ねると、准将は即座にこう答えた。「75年なんてとんでもないことだ。あの爆弾は(略)2、3日後からは影響ないはずである」
*「75年説」も世間に広まるなかで「草木もはえない」という風評となったが、かといってここで述べられている「2、3日後からは影響ない」というのも虚偽である。なお本調査の結果は当時機密扱いとなっていたため、その内容はかなり後になって知ることとなる。
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2キロ以遠の被爆でも急性放射線症状(脱毛、皮下出血など)があったか? 「機密解除」になった米軍調査団の報告書について
また、マルセル・ジュノー(博士、赤十字駐日主席代表)の談話がある。
「われわれはかかるものを二度、再び使用しないですむようつとめなければならない」
調査団に同行し「15トンの救援医療品」を携えた。