原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

あの日のこと 美川きよ 1946.07

日付 1946年7月

題名 あの日のこと 

著者 美川きよ 

掲載予定 女性公論 第2号 7月号(雑誌自体は検閲のため8月に入って発行)

形態 小説 雑誌


GHQにより発禁(SUPPRESS)となり全文が未公表となったもの。

 

後に堀場清子によって発見され、1982年に「朝日ジャーナル」8月6 日号で初公開される。

 

甥になり代わってその母に宛てた書簡という体裁によって書かれ、「原子爆弾の恐ろしいその破壊力、アメリカの最後の手段、その最後の犠牲になった30万人の中に彼の子も入ったのです。でもそれが戦争の最終符となり、平和日本の人柱になったのだと思い無理にあきらめようとして居ります。」と結ばれている。

 

「女性公論」第2号(1946年7月1日発売)に掲載予定だったが、検閲の結果「全文発禁―公安を妨げる」となる。もう少し細かい指摘は以下のとおり。

原子爆弾が爆発した時の状況への言及
原子爆弾の爆発によって引き起こされた損害への言及
・公安を妨げる惨禍の悲惨な状況への言及
・アメリカへの苦情

 

再録:

日本の原爆文学〈10〉短篇 (1983年)

日本の原爆文学〈10〉短篇 (1983年)