原発と原爆とともに

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七日間は近づけない/水中試験の予行演習/原子爆弾 西日本新聞 1946.07.17

日付 1946年7月17日

題名 七日間は近づけない/水中試験の予行演習/原子爆弾/実験用の動物バタバタ死ぬ/日本の研究に一驚

掲載 西日本新聞 第1431号 2面

発行 西日本新聞社


リード    

【共同】ビキニ、マツキンレー艦上にて十四日発UP

第二回原子爆弾試験は来る二十五日ビキニ環礁の水中で・・・



人名

モリソン博士

仁科博士

 

ところで、GHQによる検閲だが、1945年9月10日「言論およびプレスの自由に関する覚書」により開始され、9月19日「プレス・コードに関する覚書」で内容が規定された。また、事前検閲は10月9日より東京に拠点のある5紙(朝日新聞、毎日新聞、読売報知新聞、東京新聞日本産業経済新聞)に対して開始された(日本産業経済新聞は1946年2月に日本経済新聞に改題される)。続いて10月23日に大阪の7紙と2つの通信社(同盟は11月1日に共同通信社時事通信社に分社される)、1946年5月に札幌(北海道新聞)に対して事前検閲が行われた。なお、その他の地方紙については創刊号については事前検閲だったが、それ以降は事後検閲となった。そして1948年7月15日には、これらを含む新聞社16社と通信社3社への事前検閲は廃され、以後すべて、事後検閲のみとなった。

 

参照
占領期新聞・雑誌情報データベース

参考(検閲)

原爆 表現と検閲―日本人はどう対応したか (朝日選書)

原爆 表現と検閲―日本人はどう対応したか (朝日選書)