原爆投下目標値の変遷
1945年4月27日
第1回原爆投下目標選定委員会会議(以下、米)
目標地研究地域 = 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保
1945年5月10日
第2回原爆投下目標選定委員会会議
投下目標地 = 京都、広島、横浜、小倉、新潟
1945年5月27日
第3回米原爆投下目標選定委員会
投下目標地 = 京都、広島、新潟
1945年5月31日
米政府暫定委員会「最も望ましい目標は、極めて重要な軍事工場であり、かつ大勢の従事者が働いており、従業員の住宅に隣接して囲まれているような所」
1945年7月3日
米統合幕僚長会議
爆撃禁止命令 = 京都、広島、新潟、小倉
1945年7月21日
ハリソン米陸軍長官顧問
原爆投下第一目標 = 京都
← スチムソン陸軍長官「反対」
1945年7月22日
目標選定委員会
投下目標地 = 広島、小倉、新潟、長崎
1945年7月25日
ハンディ参謀本部作戦部長による爆撃投下命令
投下目標地 = 広島、小倉、新潟、長崎
1945年8月1日
投下目標地 = 広島、小倉、長崎
1945年8月6日
投下 = 広島
1945年8月9日
投下目標地 = 小倉 → 変更
投下 = 長崎