原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

原爆投下目標地の変遷 1945.04.27-08.09

原爆投下目標値の変遷

1945年4月27日

第1回原爆投下目標選定委員会会議(以下、米)

目標地研究地域 = 東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保


1945年5月10日

第2回原爆投下目標選定委員会会議

投下目標地 = 京都、広島、横浜、小倉、新潟

1945年5月27日

第3回米原爆投下目標選定委員会

投下目標地 = 京都、広島、新潟

1945年5月31日

米政府暫定委員会「最も望ましい目標は、極めて重要な軍事工場であり、かつ大勢の従事者が働いており、従業員の住宅に隣接して囲まれているような所」


1945年7月3日

統合幕僚長会議

爆撃禁止命令 = 京都、広島、新潟、小倉


1945年7月21日

ハリソン米陸軍長官顧問

原爆投下第一目標 = 京都

← スチムソン陸軍長官「反対」

1945年7月22日

目標選定委員会

投下目標地 = 広島、小倉、新潟、長崎

1945年7月25日

ハンディ参謀本部作戦部長による爆撃投下命令

投下目標地 = 広島、小倉、新潟、長崎

1945年8月1日

投下目標地 = 広島、小倉、長崎

 

1945年8月6日

投下 = 広島

 

1945年8月9日

投下目標地 = 小倉 → 変更

投下 = 長崎



参考
日本ジャーナリスト会議 広島支部