原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

脊椎棘突起痛と間脳レ線照射 三木威勇治、猪狩忠 日本医事新報 1947.06.21

日付 1947年6月21日
題名 脊椎棘突起痛と間脳レ線照射(骨関節結核の研究)
作者 三木威勇治、猪狩忠
掲載 日本医事新報 第1223号 pp9-11
発行 梅沢彦太郎 (中央区
編集 梅沢彦太郎

三木威勇治(MIKI Isaharu, 1904-1966)は、福岡出身の整形外科学者。岩手医専、東北大を経て東大教授。また、後には東京警察病院長。

猪狩忠(IKARI Tadashi, 1916-2006)は、奥州市出身の整形外科学者。当時は東北大学教授、後に岩手医科大名誉教授。


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参考

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【検閲有】原子弾調査に二教授来朝 新潟日報 1947.06.21

日付 1947年6月21日

題名 原子弾調査に二教授来朝

掲載 新潟日報 第1685号

発行 新潟日報社 (新潟市

編集 新潟日報社

備考 検閲有

 

リード

渉外局発表

総司令部厚生局二十日の発表によると原子力委員会の顧問として最近来朝したロチエスタ・・・

 

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アメリカ技術通信(実験用原子力工場の出現) 経営科学 1947.06.20

日付 1947年6月20日

題名 アメリカ技術通信

掲載 経営科学 1(3) アメリカ特集号 p24-25

発行 公文館 (文京区)

編集 綜合科学技術研究所

 

見出し

短波中継所のレンズ・アンテナ

新しき穀物保護法の発明

中性子の採取;デメロール使用に赤信号

 実験用原子力工場の出現

新しき風防ガラスの出現

「ライ・デテクター」に依る書類検査

100,000フィート上空の風を観測するレイダー・リフレクター

 

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原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力

原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力

 

 

すたでいおこんと集(原子力) でかめろん 1947.06.20

日付 1947年6月20日
題名 すたでいおこんと集
作者 友田青磁
掲載 でかめろん 第4号 pp50-53
発行 東京ロマンス社 (台東区
編集 水上雄厚

見出し
始末書
愛称
原子力
実験
白痴美
前身

 

戦前1931年に創刊された同タイトルの雑誌(風俗史料刊行会)があるが別もの。いわゆる「カストリ雑誌」で、1946年12月創刊、のちに全日本出版社から刊行。


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嗚呼、うたかたのカストリ雑誌コレクション(さ行~な行)
古本くろねこ堂



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長崎における原子爆弾の被害と植物 生物界 1947.06.20

日付 1947年6月20日
題名 ミスケラネア・ビオロギカ
作者 本田正次、岸田久
掲載 生物界 1(3) 6月号 PP121-125
発行 洋々書房 (杉並区)
編集 日本生物学会

見出し
南極海捕鯨の概況
鳥獣猟期の短縮その他
関学農学部
農専の新設
鶴岡農専4月に設置
東京都内の野草を教材に
茨城においも研究所
世界一モダン農場
文化破壊時代の再来か
カラスウリでウイスキー
雑誌「染色体」の発行
フジツツジの新産地
夫婦梅
狭山飛行場が大茶園
寒い温室・枯れる世界の花
全御料林を国有
サクラだより
長崎における原子爆弾の被害と植物
放線菌の研究
イサリヤコガネの発見
城ヶ島に海洋研究所
山菜と糧物
東京のサクラ
新宿御苑が東京名所
アメリカから学術雑誌寄託
東大理学部の入試問題
東大医

本田正次は、東京帝大教授、小石川植物園長、日本生物学会世話人、理学博士。
岸田久吉は、東大理学部動物学科出身、農林技官哺乳動物主査、日本生物学会世話人


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原子爆弾:忘れられた美しさ 朝日青年 1947.06.20

日付 1947年6月20日
題名 原子爆弾:忘れられた美しさ
作者 牧野武
掲載 朝日青年 第56号 p5
発行 私立朝日新聞小倉青年学校青空会(小倉)
記事種別 特別寄稿


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原子爆弾開発ものがたり

原子爆弾開発ものがたり

 

 

女性としてのマダムキューリー 湯浅年子 新科学ペン 1947.06.20

日付 1947年6月20日
題名 女性としてのマダムキューリー
作者 湯浅年子
掲載 新科学ペン 2(2) 6月号 pp49-55
発行 新科学ペン社 (中央区
編集 本明寛

湯浅年子(YUASA Toshiko, 1909-1980)は、東京下谷区に生まれる。1931年東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大)理科卒業。1935年東京女子大講師、1938年東京女子高等師範学校助教授。1940年よりパリに留学。1944年ベルリンへ移動。1945年帰国。1949年CNRS研究員。1952年よりお茶の水女子大教授(-1955年)。1956年パリ大学で研究員。

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理系の扉を開いた日本の女性たち―ゆかりの地を訪ねて

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