日付 1949年8月10日
題名 雅子斃れず 長崎原子爆弾記
作者 石田雅子
発行 表現社
14歳のとき父の赴任で4月より長崎に移住、当時は三菱兵器製作所大橋工場で働く。爆心地より約1キロのところである。
入院中のベッドで書いた文章を兄が親族で回覧する「石田新聞」(後に「東福新聞」)に8回に分けて書き、父や兄の文章や写真と併せて1冊にまとめた。
1947年7月に検閲により「発禁」とされる。ところが父が知事や市長をはじめ各層にアンケート回答を依頼し、この作品が「敵意を再び燃え上がらせ」たり「公安を害する」意図をもっていないことがわかるような内容が集まる。結果、「仮刷」という判が押され、市販をしないという前提で没収や廃棄は行われず、家族や知人に配布される。
後に、若干の修正を行い、単行本が事後検閲に移行して1年以上過ぎた1949年2月20日に婦人タイムズ社(長崎)より刊行、さらに半年後の8月10日には表現社(東京)より刊行される。こちらには父や校長の文章がなくなり、代わりに永井隆の「序にかえて」と書簡、著者と永井の写真が加わったほか一部文章に手が加えられている。
以上、堀場清子「禁じられた原爆体験」より要約。