題名 広島県東北東の水分(みくまり)峡より見た原爆きのこ雲
作者 山田精三
携帯 写真
日付 1945年8月6日
山田精三(YAMADA Seizo, 1928- )は、広島県安芸郡府中町出身。当時は旧制夜間中学に通いつつ中国新聞社で働いていた。戦後、中国新聞編集局運動部で長年カープを担当、コラム執筆を続けた。
当時17歳だった山田は、1945年8月6日の朝、仕事をさぼって、友人と家の近くの水分峡に出かける。ここは、爆心地から6.5キロのあたりであったが、偶然、原爆投下後のきのこ雲を写真撮影する。