原発と原爆とともに

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【検閲有】原子弾罹災者に健診班来広 中国新聞 1946.08.18

日付 1946年8月18日

題名 原子弾罹災者に健診班来広/京大から專門医

掲載 中国新聞 第18801号

発行 中国新聞

備考 検閲有


リード    

原子爆弾罹災者、健康診断および診察を、京都帝大医学部教授菊池武彦氏

 

 

菊池武彦(KIKUCHI Takehiko, 1983-????)は岡山生まれの医者。専門は内科(血液学)。1945年9月広島の大野陸軍病院を拠点に原子爆弾被害調査、1947年4月に大阪で行われた日本医学会第12回総会にて「原子爆弾の臨床」を発表、後に京大附属医院長。

 

「サイコロに恵まれぬ点で最も激しいのは内科の講師、菊池武彦博士だ。彼は大正八年の首席卒業で素晴らしい秀才、温厚な中に覇気と腹を蔵した人物との定評が あって、大正十年に早くも薬物学の助教授になり、いろいろアルバイトも出したが、いかにせん同教室の尾崎良純教授とどうしても肌が合わない。とうとう大正 十四年に薬物学から逃げ出して、新規まき直しに内科の助手からやり出して現在講師に漕ぎつけている。この俊才にこの迂回あり。」(大阪毎日新聞「京大展望」来間恭、1931年より)

 


参照
占領期新聞・雑誌情報データベース

 


参考(菊池武彦)

鍼の道を尋ねて

鍼の道を尋ねて

空白の天気図―核と災害1945・8・6/9・17 (文春文庫)

空白の天気図―核と災害1945・8・6/9・17 (文春文庫)