原発と原爆とともに

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“原子症”は癒る/あれから一年・長崎の患者 西日本新聞 1946.08.08

日付 1946年8月8日

題名 “原子症”は癒る/あれから一年・長崎の患者/いない再発者/嬉しや恵まれた子宝

掲載 西日本新聞 第1453号 2面

発行 西日本新聞社

 


人名   

長崎医大脳外科

調来助博士

角尾学長

東大都築博士

 

角尾晋(TSUNOO Susumu, 1892-1945)は、東京生まれの医学者。戦時中に長崎医大学長。1945年8月7日に東京出張の帰りに広島に立ち寄り、8月8日に長崎市において、広島に落とされた「新型爆弾による被害」に関する講演、報告を同行していた西岡竹次郎(元県知事)らと急遽行った。しかし翌日、長崎の原爆の被害者となる。症状は重く22日に死去。大学のことを調来助教授(後に附属医院長)、古屋野宏平教授(後に学長事務取扱)に託した。

 

調来助(SHIRABE Raisuke, 1899-1989)は、福岡生まれの医学者。長崎医科大学で外科医。戦後は原子爆弾被爆者医療研究に専ら従事した。詳細はこちら

 


参照
占領期新聞・雑誌情報データベース

 

参考(調来助)

長崎―爆心地復元の記録 (1972年)

長崎―爆心地復元の記録 (1972年)

外科臨牀ノ為ニ (1949年)

外科臨牀ノ為ニ (1949年)

外科臨牀の為に (1955年)

外科臨牀の為に (1955年)