原発と原爆とともに

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パリ平和会議第三日/原子爆弾も講和条約に規定 熊本日日新聞 1946.08.02

日付 1946年8月2日

題名 パリ平和会議第三日/新たなる侵略準備/看過し能はず/モロトフ外相演説/議決問題で沸騰/ソ連三分の二方式を支持/条約ソ連に有利/ドナウ河航行問題紛糾か/原子爆弾も講和条約に規定/対日独講和は民主自立の上で

掲載 熊本日日新聞 第1577号 1面

発行 熊本日日新聞社

 


リード    

パリ一日発フランス通信、共同

巴里平和会議第三日はルクサンプール宮で手続委員会を再開、三十日正式に上程されたイタリーなど敗戦五ヶ国の講和条約を審議する

 

1946年7月29日からはじまったパリ平和会議は、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーフィンランドと連合国との講和を目的としたもの。この時期スターリンは病気療養中でモロトフが代理で政務を執っていた。

 

 

参照
占領期新聞・雑誌情報データベース

参考(モロトフ

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