原発と原爆とともに

「3.11」原発事故の後の時代を生きるための データベースを構築しています by 瀧本往人

平和のための原子力へ 西日本新聞 1946.06.16

日付 1946年6月16日

題名 平和のための原子力へ/国連原子力委員会開く/国際機関を設立/利用管理一任/爆弾は破棄、製造禁止/米国案発表

掲載 西日本新聞 第1400号 1面

発行 西日本新聞社

 

リード    
【共同】ニューヨーク十四日発AP
国際連合原子力委員会は十四日ニューヨークで第一回会議を開きアメリカ代表バーナード・バルーチ氏は原子力爆弾に関する・・・


バーナード・バルーク(Bernard M.Baruch, 1870-1965) は、米国の エコノミストでウッドロー・ウィルソン(第26代大統領)とフランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)の経済顧問。米国主導で原子力を国際管理しようとする案を提出し、後に「バルーク案」と呼ばれることになる。しかしソ連がこの案に反対し「冷戦」がはじまる。

なお、「平和のための原子力」は、一般的には、1953年のアイゼンハワー大統領の国連総会における演説が基点とされるが、バルーク案も含め、1945~1946年の時点で、内外において「平和的利用」は多数主張されていた。

 

参照
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