原発と原爆とともに

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原子弾講演五日に変更 佐賀新聞(篠原健一) 1945.09.30

日付 1945年9月30日

題名 原子弾講演五日に変更        

作者 不詳

掲載 佐賀新聞 20186号 2面

発行 佐賀新聞社        

形態 新聞記事

 

篠原健一(SHINOHARA Ken'ichi, 1905- )は、原子物理学が専門の九州大学理学部教授。1950年には理化学研究所主任研究員、1966年には早稲田大教授、1976年に定年退官。没年不詳。


「佐師講堂」における篠原健一の「原子弾」講演は、9月30日の予定であったが、都合により10月5日午後1時に変更した 、という内容。

 

なお、篠原健一、医学部放射線科石川数雄助教授らは、1945年10月1日、西山地区で自然係数の200倍、260倍の放射能を観測した。

 

経緯:
1945年8月7日、軍人から広島の被害について、原爆かどうかの問い合わせを受ける。

1945年8月9日、軍人たちと広島に測定器を持たず行き、翌日調査。仁科、荒勝、浅田氏らと会う。軍の関係者は原爆ではないことを強調。

1945年8月13日、長崎に向かう。ここでも軍の見解は原爆ではないとのこと。G・M計数機によって放射能を検知。

1945年9月8日、再び長崎へ。ローリッツェン検電器を使った測定を行う。1ヶ月で線量はかなり下がっていた。

1945年9月28日、三度目の長崎。当初は9月21日の予定だったが、米軍が長崎に進駐するという情報より延期。これにより、講演会が延期になった。爆心地よりも西山四丁目付近に強い放射能があることを米調査団が確認。この調査の結果が、10月1日の報告となっている。

 

篠原健一による当時の回想録:

原子爆弾災害調査の思い出

 

関連動画:

1945年・長崎における放射線量測定

 

参考:

原子爆弾の効果 (1951年)

原子爆弾の効果 (1951年)

原子爆弾の効果」(ロス・アラモス科学研究所:編、米国防省及び米原子力委員会:企画・援助、篠原健一、石川数雄、山口宗夫訳、主婦之友社、1951年2月 The Effects of Atomic Weapons)